第1回アジア太平洋詩祭 その2 詩の音楽性

ベトナム開催の第1回アジア太平洋詩祭(2012年2月1日~6日)で、詩作品そのものの音楽性について考えていた。

日本国内の、定型・自由律、等時拍、5・7調あるいは7・5調8拍子説といった不毛な議論を、「吟遊」第53号の笹久保伸の評論「俳句の音楽的分析、または俳句の音について」は超えた視点を提出していたので、より新しく、より創造的なとらえ方を求めていた。

この国際詩祭への日本からの参加者の1人、英語で自由詩の創作を行っている永井真理子は、英語の自由詩も、まったくの自由ではなく、ストレス(アクセント)の配置、子音や母音の並べ方など、すぐれた詩には、音声上の音楽性があることを教えてくれた。ほとんどのアジアの詩人たちの英語の詩には、それがないらしい。ニュージーランドからの女性詩人には、それがある。永井真理子の英語詩にもそれがある。

詩作品そのものの音声上の音楽性

と、実際の朗読のさいの、

肉声による色づけ

とは似て非なるものなのだが、これらが混同されながら、詩の朗読は行われている。これに気付いたのは、今回の国際詩祭参加の収穫。

  竹藪を出てきた肉が詩人と呼ばれる  夏石番矢  



参照
第1回アジア太平洋詩祭 その1
http://banyahaiku.at.webry.info/201202/article_13.html

"第1回アジア太平洋詩祭 その2 詩の音楽性" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。