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zoom RSS 島尾敏雄の文体は浅薄

<<   作成日時 : 2018/10/04 00:00   >>

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『島尾敏雄全集』全17巻(晶文社)を購入して読んでいるが、あまり感心しない。

島尾の文体には、独自性が希薄で、薄っぺらな散文。本物の詩人、文学者の作品には、本人が意識しない何かが付加されていて、それが最大の魅力。

『夢日記』などの夢の記述も、独りよがりの味気ないもの。この人には、基本的に持ち味がない。また、人間精神の奇怪さ複雑さを追う文章力がない。これは決定的欠陥。

『夢の中での日常』は、およそ30年ぶりで今回は全集で読んだ。主人公の体内の粘膜と体表の皮膚が裏返しになる短編で、不条理小説の趣もあるが、もっと不気味さを出すために、表現を改良できるのではないかと思う。やはり文章が大雑把で薄い。

この小説冒頭、主人公のノヴェリストの「表現することが重くのしかかって来て、私は自分の技術を殆んど見限った」という独白は、おそらく島尾敏雄自身の正直な告白だろう。

妻ミホの精神崩壊を描いた代表作『死の棘』にしても、サイコパスが当たり前になった現在、事実の記録程度で、独自性は薄い。

だいたい、夫の浮気ぐらいで精神が崩壊する女という設定(事実把握)そのものが、浅薄である。

島尾の日本=ヤポネシア論は、有意義な視点ながら、あまり深く展開できていない。

島尾の文学は、バラック建築そのもの。戦後に限らず、日本ではまともな文芸批評がないと言っても過言ではない。いや、日本のすべての分野でまともな批評がない。

文体浅薄な島尾敏雄に対して、小説家では、太宰治はあるところで、精神の成長が止まっているものの、文体が魅力的。思春期から大人まで彼の小説は楽しめる。『お伽草子』は、文体と内容ともに絶品。

三島由紀夫の虚飾、埴谷雄高のこけおどし、吉本隆明の難解な悪文など、日本の戦後文学の大半は、読み継がれてはいかないだろう。

  帰りたくない家に帰れば私は雑巾

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