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zoom RSS 和辻哲郎『古寺巡礼』を読む

<<   作成日時 : 2010/01/11 22:45   >>

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『宇治拾遺物語』についで、和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫、1979年)を読む。現在の姫路市仁豊野出身の著者30歳の1919年に、初版が出版された名著。岩波文庫版は、若書きの部分を削った改訂版。この哲学者が、なつかしいと言っている大和地方の山野には、西播磨のうぶすなの記憶が重ねられていて、私もなつかしく感じる。

関東平野の黒い土とは違う、乾くと白い土が、播磨には多い。相生市の陸天満宮の境内の土に、幼いころよく絵や字を書いて遊んだが、いまは新幹線の高架下になってしまった。

    夏の画布天神様の庭の白土  夏石番矢

『古寺巡礼』のような著書を、30歳のときに生みだせた著者の、感性、教養、思索力、文章力に敬意を表する。現代日本の哲学者を含む人文科学研究者で、『古寺巡礼』を超える著書を持っている人はいるだろうか。

学問も、細分化、専門化して、深みと面白みから遠のいたかもしれない。

≪信貴山縁起絵巻≫に対して、「簡単な線でこれほど確かに人物や運動をかきこなしていることは、やはり一つの驚異」と指摘し、「この種の巧妙な技巧は日本人に著しい特質の一つ」と考え、「和歌や俳句にその代表的な例がある」(205ページ)とまで分析しているのは、さすがであるが、これはもっと突き詰めてゆくと、≪鳥獣戯画≫や浮世絵と俳句ということになるだろう。

賛成できないのは、薬師寺の薬師三尊像についての鑑賞。たいていの日本人は、この仏像を美しい作と受け取っているが、これは中途半端なヘレニズム亜流作品。本尊台座の葡萄や天の邪鬼のレリーフを見れば、一目瞭然。

かなり私的な感想を付け加えると、和辻がこの著書で鑑賞している≪薬師寺吉祥天≫の顔は、唐風の美人画のようだが、この顔はどこかで見た顔だと思っていたら、故郷の相生市菅原町のH家の主婦(おばちゃん)の顔にそっくり。むろん、絵の天女の顔のほうが、貴族的な気品があるが、顔の造作が実によく似ているので、私にはこの天女の絵が、おばちゃんの絵であって、美術品として鑑賞できない。

「H家のおばちゃんは、唐では美人」ということのとまどいから、なかなか抜け出せないということである。

和辻が≪中宮寺観音≫を末尾にもってきたのは、構成上の美点。一書全体の余韻が深くなる。ただ、この木像の顔を、和辻のように女と見るか、あるいは少年と見るか、あるいは性を超えた存在と見るかによって、かなり受け取りが異なってくるのは、やはりこの像のすぐれた超越性かもしれない。なんともやさしげな超越性である。古代朝鮮的な美意識から生まれ出た和風のういういしい美意識が、そこにあるかもしれない。

二十年以上前、この実物を中宮寺で目にしたとき、いささか拍子抜けしたことがある。鉄筋コンクリートの御堂内部のガランとしたところに置くのにふさわしい仏ではない。

半跏思惟像は、日本、韓国の仏像に限られず、リトアニアの「考えるキリスト」にも共通する謎は、ユーラシア古代の謎にも直結する。

    雨雲の芯をキリスト考える  夏石番矢(『迷路のヴィルニュス』、七月堂、2009年)


参照
キリストと弥勒
http://banyahaiku.at.webry.info/200610/article_8.html














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和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波書店)
概要  和辻哲郎が奈良の浄瑠璃寺など古寺をを訪れたときのエッセイ。おそらく旅行記になるんじゃないでしょうか。本人としては黒歴史として葬りたかったそうですが、読者からの要 ... ...続きを見る
有沢翔治のlivedoorブログ
2012/07/23 21:47

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