テーマ:中上健次

中上健次の命日

8月12日は、中上健次の命日。1992年他界だから、もう23年が経過した。 芥川賞、小説、日本国内の大手出版社、いずれも意味がなくなった。 これらすべては、今後の23年間、さらにがけ崩れのような崩壊へと向かうだろう。 写真は熊野大学俳句部の句会。髪の毛の多い夏石の右横に疲れた中上健次。 1990年8月5日。新宮市の熊…
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葬儀怪異譚

葬式の初体験は、祖父、乾源蔵の葬式。兵庫県相生市菅原町の自宅で行った。1967年、私が小学校5年ごろだった。享年82歳。死因は老衰。当時としては長寿。 9月はじめからずっといびきをかいて寝たままとなった祖父が亡くなった9月12日は、相生市立双葉小学校の帰り、あるものを見て予感が走った。帰宅すると、それが的中していた。 葬儀で…
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秩父へ

7月19日(日)~21日(火)まで、秩父に滞在する。20日(月)の川瀬祭りを見るためと、「吟遊」新同人、浅賀信太郎さんと飲むため。また、鍼の名人、浅香先生に可能ならば、治療を受けたい。 秩父駅前の定宿に二泊する。 なんだか、かつての熊野通いのような気分。あの熊野通いは、中上健次の死去で区切りがついた。     秩父より…
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2009年年賀状の「牛」俳句決定!

このところ、わが家の年賀状には、その年の干支を詠み込んだ、私と鎌倉佐弓の俳句を一句ずつ並べている。これから近所の印刷屋さんに年賀状の印刷を依頼するため、自分の「牛」の俳句をどれにするか決めた。このブログにも登場した一句。     春を待つ熊野の山は千の牛  夏石番矢 出典 夏石番矢句集『楽浪』(書誌山田、1992年11月…
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ノーベル文学賞のこと 熊野・中上健次の思い出(補遺)

いま、熊野大学には、中上健次が生きていたら、決して来れなかったような顔ぶれも来ている。中上健次亡きあと、熊野大学の運営に、関係者が苦労されているとはいえ、もう中上健次が生きていたときの熊野大学ではないことも、事実である。 実にたくさんのことを、中上健次と熊野大学に学ばせてもらったが、1998年の7回忌以後、熊野大学に私が参加してい…
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熊野・中上健次の思い出(6)

中上健次は、1992年8月12日に他界した。前年の秋から、体調を崩していると聞いた。そう言えば、熊野大学でも、気分が悪そうにしていたこともあるし、はじめて出会ったときたから、目のまわりが黒ずんでいた。 定宿にしていた新宮駅前のビジネスホテル植重は、経営者の和歌ちゃんが亡くなり、いまはどうなっただろうか。 ずいぶん、和…
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熊野・中上健次の思い出(5)

熊野通いを始めて1年後の1991年2月6日、熊野の火祭りに参加できた。より正確に言うと、神倉神社の御燈祭の上り子(のぼりこ)となったのだ。 御燈祭 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%87%88%E7%A5%AD このときの上り子姿の記念写真が残っている。中上健次の新…
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熊野・中上健次の思い出(4)

1990年の8月3日には、はじめての子どもが無事生まれた。一人娘である。中上健次の誕生日は、8月2日。私の父の誕生日は、8月1日。8月はじめに、家族と友人の誕生日が並んでいた。 句集『楽浪』には、わが子誕生の喜びと、熊野通いの高揚が交じり合った俳句も少なくない。羽田から南紀白浜へ、飛行機でよく通った。熊野灘上空から、新宮市街地や熊…
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熊野・中上健次の思い出(3)

そのころ、所属していた俳句同人誌「未定」で、首都圏の連中の、夏石番矢に対する無理解と嫉妬が強く、うんざりしていた。結局、それからまもなくして、「未定」を離脱することになる。 熊野の海は、この種のストレスから解放してくれた。 荒れた海であろうと、穏やかな海であろうと、海を見るのは好きだ。海を見詰めると、人は誰でも哲学者…
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熊野・中上健次の思い出(2)

句集『楽浪』の句に沿って、熊野と中上健次の思い出をだどってみたい。 この句集の「熊野讃句」は、次の句で始まる。     みなかみに声の列柱あり薄暮   『楽浪』 これも、熊野本宮大斎原(おおゆのはら)の印象をもとにした俳句。この聖地は、明治22年の洪水で社殿が流失するまでは、熊野本宮があった場所で、熊野川の中洲。 …
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熊野・中上健次の思い出(1)

これまで熊野へは、何度通っただろうか。 1990年の1月から、今は亡き中上健次が主宰する熊野大学に、毎月のように参加した。 熊野大学ウェブサイト http://www.kumanodaigaku.net/ 最初は、宇多喜代子さんの誘いで、1990年1月7日、熊野速玉神社ではじめて中上健次と出会ったとき、境内の池に蛇が姿を…
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