出雲の謎

『古事記』や『日本書紀』は、神話の部分も含めて、理解できないことが少なくない。古事記のゼミをもう十数年続けているが、謎はごく一部分しか解けない。

『古事記』のほうが、出雲神話についての記述が多いのも謎である。

高天原が軍隊を使わずに、国譲りができたという話も、信じがたい。

このほど、斎木雲州の著書2冊を読んだ。

『古事記の編集室ー安万侶と人麿たち』(大元出版、2011年)
『出雲と蘇我王国ー伝承の日本史ー』(大元出版、2012年)

IMG_6518.JPG

斎木雲州については、

1934年台湾の台北市生まれ。国学院大学文学部卒業。日本大学大学院修士課程修了。日本古代民俗学会会員、やまとことば学会会員。1994年大学教授を辞職。

という未確認情報があるだけ。

著者は、後者の著書の記述から、

富(とみ)

家の子孫で、これら2冊の本の出版元の社長、

富早人

と同一人物ではないかと推測する。

さて、これら2冊は、どこまで富家の伝承に基づいたものなのだろうか?

明確に信じられない記述は下記のことがら。

1 徐福、スサノオ、ニギハヤヒが同一の渡来人指導者
2 古代朝鮮との関係がほとんどない
3 富家の先祖は、インドのドラビダから陸伝いに移動し、日本の東北地方へ渡来し、南下して出雲に定着した

持統天皇の意志により、日本古代の王朝交代は伏せられ、残酷でない作り話が生み出され、万世一系の虚偽が記紀にまとめられとの主張が本当ならば、記紀に多い不可解さは当然ということになる。

斎木雲州の主張で、納得できたのは、宇佐八幡宮は、元来、月神を祀った神社で、現在の祭神の姫神がその月神であること。宇佐は「うさぎ」を意味すること。

ただし、斎木による因幡の白うさぎの解釈は、あまり納得できない。あの話は、いくつかの要素が合体している。この謎がこのほどいくぶん解けた。

  海岸で踊れば兎は透明に  夏石番矢




























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この記事へのコメント

出雲王朝
2019年12月28日 21:49
出雲・大和そして九州北部は弥生後期の三大文明圏ですが、このうち北九州と出雲は朝鮮半島との近接からかなり以前からつながっていたようです。大和には縄文晩期から地域国家が存在し、半島系の出雲国家の侵略を受けたようです。これが大まかに言えば第一次大和国家(邪馬台国)で、続いて九州北部から数次にわたって侵略が繰り返されたのは間違いありません。そのヒントが神武・崇神・応神の3人の「神」を冠する大王(天皇の前身)の存在です。これらは全て半島経由の文明(人・鉄器・古墳)の流入で、これにさらに長江上流及びインドシナ半島などから海人族による稲作文化(水田耕作)が加わったようです。また、朝鮮半島は長く秦・漢・魏の植民地帯としてあり続けましたが、部族上層は旧満州の大扶余(プヨ)王家(中央アジア起源。後に渤海として再建)の流れをくむ高句麗・百済(任那)が占め、崇神・応神から天智(中臣)まで日韓は同族関係だったようです。もう一つ無視出来ないのが、新羅(後に唐から独立)の存在です。その起源は秦まで遡り、秦滅亡後の亡命者が建国し「秦韓」と呼ばれました。この中に日本(=伊勢)神道を、先行する物部(出雲)神道(縄文系を糾合)と融合するかたちで確立した秦氏(河勝が聖徳太子に仕える。後に平安京を建設)がいました。この秦氏はユダヤ(景教)や中央アジア起源の秘教(戦前の日ユ同祖論の基になった)の護持者でした。日本文明の汎東アジア性(ヤポネシア)がかいま見られます。
Fujimi
2019年12月29日 06:13
上記コメントにあるような古代日本形成論は、何冊もの本やその受け売りのサイトやブログなどで承知していますが、必ずしも納得できません。まだ記紀などが作り上げた虚構の枠内のとらえ方だと思います。
出雲王朝
2019年12月29日 19:59
確かにそうなのでしょうが、それではBAN‘YAさんはどのようにお考えでしょうか?まさか縄文文明がそのまま中心でありつづけたとお考えですか。あるいは、大陸や朝鮮半島に先立って日本独自の文明の起源があり得るのでしょうか。また一応の通説を『受け売り』などとおっしゃるからには、何か特別のお考えをお持ちのはずです。ご教示願えないでしょうか。
Fujimi
2019年12月30日 13:05
このブログで書けるような簡単な代物ではありません。縄文時代も1万年以上続いたのですから、一つの文化ではありません。さまざまな渡来人が、地域と時代によって多様な共同体を作っていました。

加曾利貝塚は、あきらかに他の貝塚とは異質で高度です。

日本の土偶の祖型は、内モンゴルの紅山文化にあります。

古代については、訳知り顔をしている本、サイトばかりで、正解はありません。私たちは何も知らないと言った方が正しいと思います。

Fujimi
2019年12月30日 23:01
秦氏が景教を日本へもたらしたとする一部の古代史マニアの説は間違いです。景教は中国の唐の時代大流行したので、秦氏がもたらしたのは、もっと原始的なユダヤ教やキリスト教などでしょう。また、秦氏も多民族集団で、単一ではありません。
出雲王朝
2019年12月31日 02:01
景教や秦氏についてのご教示感謝します。南方系弥生人のはずの沖縄にあからさまなユダヤ教の痕跡があったり、与那国諸島の周辺や台湾沿岸の氷河期以前の海底遺跡群、長江下流域の都市国家群など四大文明よりかなり前の遺跡との日本列島内のつながりなど全く解明されていません。ペルーやボリビアでは東大や欧米考古学チームによる解明がすすんでいるのに、日本国内や東アジアのものはまだこれからのようです。今後も専門家の目から新しい発見があれば可能な限りお知らせ下さい。
Fujimi
2019年12月31日 09:07
私は専門家ではありませんが、古代文化については、未発掘のもの、破壊されたものが多く、私たちが知っていると錯覚している知識は、仮説以前のものが多いですね。
ユダヤ十二氏族は、人種的にも単一ではないと思います。ユダヤのみならず、日本列島には、さまざまな人々がさまざまな時代にやって来たことはたしかです。
聖徳太子の母、間人皇女の間(はし)は、波斯(波斯)ではないでしょうか? これは憶測ですが。

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