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zoom RSS 初代ニギハヤヒは防府で亡くなった?

<<   作成日時 : 2018/06/04 00:00   >>

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現在の山口県東部、古代の周防の一之宮は、

玉祖神社
たまのおやじんじゃ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE

この神社を、富永鳩山・順子先生ご夫妻の車で、2018年5月27日(日)午後訪れる。佐波川の北、小高い山々が奥に控え、まわりは砂が土に混じる田畑に囲まれた土地。

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花崗岩でできた瑞垣が、かなり特殊。猫脚に近い。この神社で初めて見た。勾玉を象徴するのだろうか?

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この神社の主祭神については、玉祖命(タマノオヤノミコト)であることは間違いないが、玉作氏の祖神とされているが、この近辺に「玉」の材料になる、水晶、瑪瑙、翡翠は産出しない。玉作とはあまり関連がなさそうなのである。

谷川健一編『日本の神々 神社と聖地2 山陽と四国』(白水社、1984年)の「玉祖神社」によれば、この神の別名は、天明玉命(アマノアカルタマノミコト)、櫛明玉命(クシアカルタマノミコト)で、これは饒速日(ニギハヤヒ)の別名である。物部氏の大祖神。

本殿の千木を見れば、男の神を祀ってあるのがわかる。

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そして、その神の墳墓跡が、玉岩屋(タマノイワヤ)として、玉祖神社の北東の田畑の間にあった。

正面から 左奥は日傘をさす富永鳩山先生
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左横から
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右奥に、美しい神名備山型の小山が控える。

この墳墓の瑞垣も、玉祖神社のそれと同じ、特殊なかたち。

「岩屋」という名なので、洞窟を連想していたが、そうではないので、一同驚く。

『日本の神々 神社と聖地2 山陽と四国』によれば、7世紀後半の横穴式石室墳とのこと。石室など見当らなかった。

時代が紀元前であるべきニギハヤヒとは合わない。

近くに、江良の厄神の森があり、立ち寄ったけれども、名前に恐れて写真を撮らなかった。ここが玉祖神社の旧社地とも。

相撲の祖形の占手神事が行われ、黒柏と呼ばれる鶏の発祥地とされ、放し飼いされている。

西から船団を組んでやってきたニギハヤヒの初代は、当時海に突き出ていた「大崎」に上陸して、この地を開拓し、この地で亡くなったのだろうか。さらに東へ向かい、大和を征したのは、その後裔ではないだろうか?

種田山頭火調査の副産物。

  ゆっくり削られ田の中の墓それでも大王  夏石番矢

















  

  

















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