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zoom RSS 水無瀬神宮と俳諧

<<   作成日時 : 2018/04/23 00:00   >>

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2018年3月25日(日)朝、JR山崎駅を降り、離宮八幡宮、淀川に合流する手前の桂川河川敷近辺散策をへて、

水無瀬神宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%84%A1%E7%80%AC%E7%A5%9E%E5%AE%AE

を初めて訪れる。後鳥羽天皇の水無瀬離宮跡。

詳しい地図を持たずに散策中、いきなりこの神宮への矢印に遭遇。

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やや迷いながら、神宮入口の鳥居に到着。

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境内の桜満開。小ぢんまりした一樹に、節度ある華やかさが凝縮している。これは京都周辺で培われた日本美の一つの典型だろう。

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門越しの桜も、狭い空間ながら、陰影のコントラストなど整っている。
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拝殿
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『元久詩歌合』(1205年)、『新古今和歌集』(1210年〜1216年)に収録された、後鳥羽天皇の和歌、

  見渡せば山もと霞むみなせ川夕べは秋と何思ひけん

は、このあたりで詠まれた。

水無瀬川は、この漢字表記とは違い、「みずのせ」が起源で、西に位置する天王山に従う山系から東へ流れ下る川。離宮は現在よりも川辺に近く、庭には川水も引き込まれていたにちがいない。

この一首が、『水無瀬三吟』(長享2=1488年正月二十二日)の冒頭の一句に本歌取りされる。

  雪ながら山本かすむ夕べかな 宗祇

ここでは、川は直接登場しないが、かすみの下に流れていることが暗示されているので、次の句が付けられる。

  行く水とほく梅にほふさと 肖白

山崎宗鑑もこのあたりに住んだので、「山崎」の姓を名乗ったと伝えられる。

俳句にとっては、縁深い一帯である。

小高い山と川、京阪間の陸路、水路の「のど首」のような要所。

 伝山崎宗鑑(?〜天文8、9=1539、40年)の発句、

  手をついて歌申しあぐる蛙かな

も、16世紀の山崎一帯に、湿地が多いことを考え合わせると、「蛙」が詠まれたのも納得できる。天皇や将軍の権威が落ちぶれた京都が近いからこそ、「歌申しあぐる」の茶化された和歌優美が、その時代をよく物語っている。

これを現代風に、無国籍風に詠むとこうなる。

  水上宮殿蛙は俳句を大声で  夏石番矢

この一帯は、古代には大和湾につながる海でもあった。




















 


































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