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zoom RSS 有季定型というトリック

<<   作成日時 : 2011/07/17 00:00   >>

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有季定型というトリック

夏石番矢

 かつて、本名・高浜清という、一八七四年に愛媛県で生まれた男がいた。小説家になれず、下宿屋経営にも失敗し、俳句にはそれほど愛着はないが、月刊の俳句雑誌で生計を立てようとした。多くの庶民から、金銭と尊敬を集めるためには、どの時代の、どの国の、どの政治家も行ったように、トリックが必要とされた。そのトリックは、二十一世紀初頭の日本の首相・小泉純一郎が得意とした、短く単純で中身のないキャッチフレーズによって可能となる。それが、「有季定型」である。
 歴史を振り返れば、二十世紀の日本では、俳句はもはや、「自由律」にしか存在理由がなかった。「有季定型」の「定型」は、「自由律」に対するアンチテーゼだった。

子が寝入れば吾家に風が集まれり  芹田鳳車

あいまい宿屋の千枚漬とそのほか  中塚一碧楼

青空映す井を見てもかまくら  荻原井泉水

大地の苔の人間が帽子をかぶる  尾崎放哉

ながい毛がしらが  種田山頭火

場末で夕日となつてころがつてゐた  栗林一石路

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ  橋本夢道

 あくまでも、荻原井泉水を先頭とする、これらの俳人による「自由律」の隆盛があってこそ、「定型」という、あまり輝かしさのないことばが、存在しえたのである。
 荻原井泉水が、自由律俳句を二十世紀はじめに提唱し始めたのは、日本国内のみならず、世界文学の視野のなかで、十分に根拠のあることだった。
 十九世紀後半のフランスから、自由詩(vers libre)が始まり、個人のそのときどきの個別の思いにふさわしいリズムを詩で探求することが、その後の世界の詩の圧倒的な主流となった。
 言い換えれば、「定型」は、それ以後、時代錯誤、保守反動、個人の抑圧の代名詞となった。
 一九九九年八月、ベルリンの世界文化ハウスで開催された俳句イベントで、元前衛俳人(金子兜太)が、日本の俳句の要点について、「定型、定型」と繰り返し、主催者の信用失墜と、聴衆の落胆を呼び起こしたのは、「定型」が西洋世界では、時代遅れの保守反動に過ぎないからだった。しかも、ベルリンの壁が崩壊し、共産主義という個人の自由を奪った「定型」が消えた土地で、これを元前衛俳人が行ったのだから、これによって日本の俳句の信用は落ち、日本抜きのドイツ独自の俳句創作へと進む流れが強まったのは言うまでもない。日本ではこのことが、ほとんど理解されていない。
 五・七・五音を「定型」と考え始めたのも、実は、明治以降のことだろう。芭蕉、蕪村、一茶は、「定型」という単語を使っていない。
 「定型」という単語は、古代中国にもあったが、文学では、西洋のfixed form(英語)、forme fixe(フランス語)、Feste Form(ドイツ語)などの翻訳語として近代日本に再登場し、とくに日本の短詩型に適用されたが、ここに大きな間違いが生じた。
 西洋から輸入した、時代遅れの概念「定型」を、日本の短歌や俳句の世界では、中心的な概念として、疑うことなく、またその根拠を考えることなく、神棚の中心に祀っている人がまだいるらしい。その神棚には、いかなる神も仏もやって来ない。
 ところで、世界で最も知られた日本の詩人、松尾芭蕉の俳句は、「有季定型」と考えていいだろうか。たとえば、芭蕉の最高傑作の一つ、

荒海や佐渡に横たふ天の河

は、五・七・五音で書かれているが、この翻訳はまず五・七・五音にはならない。

a rough sea
stretching over to Sado
heaven’s river

 これは、いい英訳かどうかは別にして、三・八・四音節(日本語の「音」と英語などの西洋言語の「音節」は同じではない)の現代英語詩として、『BASHO The Complete Haiku』(Translation by Jane Reichhold, KODANSHA INTERNATIONAL, Tokyo, New York, London, 2008)に収録され、世界に広まっている。
 また、英語では、「天の河」が、「heaven’s river」(天国の川)と訳されている。新しい感覚の翻訳だが、ここには季節の限定のない、天上世界の美しい川があるだけだ。もともと、芭蕉のこの一句に、宇宙性、天上性があり、英訳では季節を捨てて、天上性が強調されたのである。どちらが重要だろうか。
 私は、「世界俳句」を二〇〇〇年から提唱してきた。これは、いかなる言語でも、俳句創作は可能であり、俳句が、それぞれの言語での、最も高度なエッセンスとしての詩になる理想を追求することである。この理想の実現のために、かなりハードな毎日を送っているが、それよりも、「世界俳句」の成果を、『世界俳句二〇一一 第七号』(七月堂、二〇一一年)から、日本語版で、少し紹介しておきたい。

青空/だけが限界のない/生命  レオンス・ブリエディス(ラトヴィア)

魂の明るい青の炎を焼き払う  ジム・ケイシャン(米国)

完璧な丸などなくて日が沈む  鎌倉佐弓(日本)  

猫にさそわれ雲から雲へ飛ぶ父よ  夏石番矢(日本)

まっすぐまがっている國がある  野谷真治(日本)

駅は軍港 セーラー服の夕暮れ色  アンドレアス・プライス(ドイツ)

孤島に/果実生えず/恋生まれる  スイェー(内モンゴル)

夏草やスカートの下に迷路  八木忠栄(日本)

文明の鈍器が牛の眼を襲う  吉田艸民(日本)

 いずれも、多様な書き方の俳句だが、「有季定型」というトリックからは自由で、人類的観点、世界的観点から生まれた詩的ビジョンが、花開きつつある。
 ある国に、ユウキ・テイケイ俳句協会があり、そこでは、季語もなく、五・七・五音節ではなく、ただその国の言語による、三行の俳句が作られている。
 日本では、「有季定型」俳句を、若いころから作り、賞をもらい、弟子も多い俳人が、没後、その存在も、俳句も、すっかり忘れ去られる運命を、どう逃れるかが緊急課題になっているらしい。


参照
「有季定型というトリック」校正
http://banyahaiku.at.webry.info/201105/article_26.html








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スウェーデン大使館の講演会、金子兜太のお粗末
スウェーデン文学 −日本からの視点 ...続きを見る
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2012/05/08 21:17

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内 容 ニックネーム/日時
まずは帰朝、お疲れさまでした。一連のイベントの充実&成功は、直後の発言としてコレを載せられたコトで、従来の主張にいっそうの確信が得られたものと。
文中、1999年独での金子兜太のエピソードは初耳だったが、コノコトで理解がひろがりました。
鑑真和尚のむかしから島国ニッポンは文化・芸術・宗教を「学問として」学んだために、テキスト上に概念化されたコトバは理解しても、ソノ流行り・廃りについては鈍感で来た。たとえば「印象派」と「キュービスム」を同時に取り入れちまうよな錯誤を犯す。概念の吸収イコール学問だとするわが島嶼国家の情熱は、ときに両者によこたわるタイムラグを配慮しません・・・・目下、原子力政策とサッカー戦術に、ソレは顕著!

ときどき先生の「キーワード辞典」冒頭を読みたくなります。いわく
「季節感を突き抜けた世界観や人間観が問われない詩などは、滅亡すればよい」
かくも堂々/あざやかなる宣戦布告をワタクシは他に知りません。変節漢や露人ワシコフ多き当世にて、コノ一文・・・・終始一貫しておのれの主張に忠実な文学者の叫びは、経時につれ、俳句のジャンルをこえて人を鼓舞する。
マ、有季定型の支持者にはけれん味たっぷりの文だろけれども(苦笑)急ぎ
ダイハード
2011/07/17 14:51
ダイハード君、いいコメント、Muchas gracias!!! 日陰の身でいないで、日向へ出てきたらどう?
Fujimi
2011/07/17 20:11

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