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zoom RSS 埋もれた世界史 チュニジアのウチカ遺跡

<<   作成日時 : 2007/01/24 00:01   >>

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チュニジアには、遺跡がたくさんある。発掘されたもの。発掘なかばのもの。発掘されていないもの。あるいは、発見さえされていないもの。
チュニジアには、まだまださまざまな時代の記憶が眠っている。要するに、発掘の資金が見付からない遺跡は眠るしかないのであり、私たちが知っている世界史などというものは、とりあえずのバラック建築にすぎないと知ったのは、チュンジアにおいてであった。

チュニスから北3kmのところに、ウチカ(Utica)遺跡がある。私が訪れたのは、1997年1月20日。



チュニス北東部にあったカルタゴと同じく、古代フェニキアの植民市。カルタゴより古く、紀元前12世紀にまで、その起源はさかのぼる。カルタゴの先輩としての誇りを保ちながら、カルタゴに味方してきたが、第3次ポエニ戦争(紀元前149年〜146年)のとき、カルタゴを裏切って、ローマに味方して、生き延びる。カルタゴが再建される前までは、ローマのアフリカ属州の首都だった。
その後も繁栄したが、7世紀のイスラムの侵攻のさい破壊された。

    カルタゴを裏切りしウチカのなずなは鳴るか  夏石番矢(『地球巡礼』)

発掘された遺跡は、過去の栄華を示すよりは、人間の営みのもろさを示す廃墟だ。見たところ、他の古代ローマ遺跡と変わらず、フェニキア起源を思わせるものはない。

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糸杉がところどころに、おなじみの尖った円錐形でそびえている。地中海沿岸では、ヨーロッパ側の北岸でも、アフリカ側の南岸でも、この木はよく見られる。オリーブやアーモンドも同様。

古代ローマ遺跡に共通する、床のモザイクも、風雨にさらされるままになっている。

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ウチカにはキリスト教が入ってきたそうだが、写真のモザイクの、手前中央にある小さい十字は、そのあかしだろうか。

現在のウチカは、内陸部にある。けれども、かつては海に面した港町で、地中海貿易で富み栄えた。おもに小麦などを輸出していた。ウチカの経済的繁栄は、豪華な柱頭の大理石の柱を持つ家が物語る。

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ウチカが海と縁が深いことは、残されたモザイクからうかがい知れる。立派なモザイクは、ルーブル美術館やチュニスのバルドー博物館に移されている。

バルドー博物館には、頭に海老の鋏を生やした海の神、船に乗る女神、泳ぎ回る魚や海豚をあしらったモザイクが保管されている。おまけに孔雀も空を飛んでいる。ユーモラスで享楽的なモザイクだ。ウチカの人々のメンタリティーを反映しているのだろう。

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    孔雀逃したぞネプチューンの頭の鋏  夏石番矢

ウチカを作ったフェニキア人は、クレタ島などの東地中海の海の民と、中東の遊牧民が混血して生まれた。上のユーモラスなモザイクは、ローマ化してはいるが、クレタ島の壁画にどこか似ている。

「宝の家」と呼ばれる建物跡がある。コインの保管場所があったのでこういう名が付いた。かつては、倉庫や台所として使われていた。財宝は何も残らず、晴れた日の青空は、底なしに青い。

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    蒼穹(そうきゅう)が宝の家の宝かな  夏石番矢(『地球巡礼』)














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