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東京大学の学生時代、二つのクラブに所属した。 東大能狂言研究会と東大学生俳句会である。 東大学生俳句会の機関誌「原生林」のバックナンバー何冊かが、わが家の屋根裏部屋に残っているが、第17号は、私がカバーをデザインし、本文のガリ版も切った。製本も私が担当したのではなかったかと記憶している。 表紙 裏表紙 ゾンネンシュターン( http://outsiderart.ld.infoseek.co.jp/jimmei/sonnenstern.html http://www.oi-bijutsukan.com/item-0606028.html)が当時好きで、その影響が見られる自作版画を、カバーに配した。 また、和紙に黄色で版画を印刷し、奇抜さを狙った、気負った稚気が顕著。それも、いまとなってはなつかしい。 奥付けによると、「原生林」第17号は、昭和52年(1977年)10月1日発行となっており、編集人は、当時の部長、小幡晃となっている。夏石番矢名の編集後記もある。 大学3年、教養学部教養学科フランス分科に進学して半年のころにあたる。 私の俳句は、ガリ版刷りの2ページに10句掲載されている。そのうちの次の2句が、処女句集『猟常記』(静地社、1983年。金子泉「夏石番矢句集『猟常記』を読む」 http://www.geocities.jp/ginyu_haiku/criticism/ryojoki.htm 参照 )に収録された。 砲声ありみるみる秋を登る花 かげぼうしかの氷葬におくれしや すでに高柳重信に出会っていて、ときおり代々木上原の俳句評論社へ通っていた。 このころは、さまざまことが錯綜して起き、自分でも資料などで確認してからでないと、簡単にまとめることができない。 それでもあえて一言で言うならば、1974年から東京で暮らし、相生や姫路では得られない出版や情報に接し、停止していた俳句創作を復活し、俳句にさまざまな要素を盛り込もうとしていた。 もう一方、フランス語やフランス文学の吸収にも熱心だったが、フランスをはじめとする海外へ自分が実際に行き、多くの海外の友人を持つとはとても予想できなかった。 |
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今日は終戦記念日ですね。
今日は祖母のお墓に行ってきました。祖母が子供のころに第二次世界大戦が始まり、今では考えられないようなことばっかりだったそうです。 例えば・・・ご飯がないというのが一番印象に残ってると毎年この時期になるとよく話してくれました。どれだけ食料不足でも、なんとかして食料をさがしだして食べていたそうです。しかし、そのような状況であっても本当にこれだけは食べられないというものがあったそうです。それは、どんぐりだそうです・・・どう調理してもこれだけは本当に食べられなかったといっていました... ...続きを見る |
平凡大学生の日常日記 2007/08/16 15:53 |
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