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zoom RSS 相生 生家の記憶(2)

<<   作成日時 : 2006/12/15 00:01   >>

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 8 / コメント 2

生家の狭い庭は、玄関横に、ブロック塀に沿って細長く広がっていた。そこには、南天、葉蘭、イブキ、金木犀、つつじ、オシロイバナなどが植えられていた。



南天の花は、黄色い蘂と白い花弁を、地面に細かく散らす。小さい蜘蛛の巣も、花と花のあいだに張られていることもあった。むろん蜘蛛も小さい蜘蛛だった。この南天は、引越しのとき、移植され、両親の住む実家の玄関前で茎の数を増やして、いまもとても元気だ。

葉蘭は、その濃緑の葉が、寿司などの和食に添えられる。これも、実家に植え替えられ、南天のそばで健在。

イブキは、玄関脇にそびえていた。ゴッホの糸杉のような風情があった。この木は根が深く、移植不可能だった。

普段は地味な金木犀が、芳香を放ち、黄色い小さい花をこぼすのに、幼いころのある秋の日に気付いたときは、とても驚いた。あの木に、魔法がかけられたのかと思った。金木犀は移植したが、すぐに枯れてしまった。

つつじは丈夫で、大きい紫の花をたくさん付け、現在両親が住んでいる家の庭に、つい最近まで老いながら生きていたが、国道2号線拡張工事のさい、引き抜かれてしまった。

オシロイバナは、子どもにいろいろな喜びを与えた植物だった。夏にいっぱい花を咲かせ、その花びらは、色の濃い汁を出す。夜には、花の色が昼と違って見える不思議さ。オシロイバナの名前の由来になった種は小さく、その殻は黒く固く、石で割ると、真っ白な粉が薄皮に包まれてつまっていた。その粉を顔に塗って遊んだりした。

これらの草木が植えられた細長い庭へ、縁側からよくおしっこをした。庭石が小便臭かった。あの大きな石はどうなったのだろう。

庭を囲うブロック塀には、コンクリートと同じ灰色の小さい蜘蛛が棲みついていた。このブロック塀の天辺に登って、綱渡り気分でよく歩いたものだ。そのころはおおらかで、大人も危険だとはとがめなかった。

こういう思い出のあった庭も、1988年の火事ののち、更地になり、のちには駐車場として使われた。1999年8月1日にとられた写真をお目にかけよう。

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わが生家の玄関跡も、上の写真と同じころには、かろうじて残っていた。ブロック塀のブロックも、かなり風化していて、コンクリートよりも、そこに混ぜられた砂粒が表面で目立っていた。

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子どものころの思い出に満ちた場所も、なんともあっけなく、諸行無常と言うしかない。国道2号線よりも一段高いところにあったわが生家跡も、いまは削られて、国道2号線の上り車線の一部分となり、ダンプカーなどの車が走っている。

    うぶすなをかつてよぎりし神と鉄        夏石番矢(『漂流』、『夏石番矢全句集 越境紀行』、沖積舎、2001年所収)

    うぶすなあちこち掘削されてあらたまの朝   夏石番矢(『右目の白夜』)


参照
相生 生家の記憶(1)
http://banyahaiku.at.webry.info/200612/article_17.html
相生 生家の記憶(3)
http://banyahaiku.at.webry.info/200612/article_19.html
相生 生家の記憶(4)
http://banyahaiku.at.webry.info/200612/article_20.html






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
2歳のわたしを縁側に座らせ、写真を撮っている父の記憶が鮮明に残っている。庭の様子まで・・・。
風花
2006/12/14 20:30
記事が、風花さんの記憶も掘り起こすきっかけになり、光栄です。
Fujimi
2006/12/14 21:51

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